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合宿二日目。
今日は、書くこともイメージして意気込んで参加。 昨夜、練った作品案を持ち込んで書いてみる。 昨日から、先輩諸氏の線を見て刺激をもらってるせいか、 何だかいつもとテンションが違う自分が居る。 まずは、「虞」 死を前に、愛する男の前で最後の踊りを舞う愛妾、 どれだけ狂おしい妖艶さが出せるかというのが、狙い。 そして対となる「何」 字そのものには人をあらわす意はなさそうだが、 戈(ほこ)を担ぐ人が元の形象なので、これを項羽その人と見立て、 力山を抜いた項羽が、武運尽きて最後を迎え、虞と対峙する 悲しい力強さを出そうというのが狙い。 すると、書きあがったものを見ていた先輩が一言 「この字は、戈を担いでいる字のはずだけど、ちっともそんな風に見えないよ」 あ! 武人の男っぽさを出そうとして書いていたため、字義がおろそかになっていた。 痛いとこを的確に指摘されました。 で、書き直したのがこれ。 うんうん。少しいい感じになってきたかも・・・と 思っていたら、先生が全員集合させて、皆の前で僕に書くように指示された。 書き終わった後に、なんでこの字を選んだか?どういうテーマ性でこの形にしたかの、 説明も皆さんにさせていただいた。 すると・・・・ 手厳しいご意見がつぎつぎと! 「ひょっとすると、作品展示時に付ける解説文が先に出来上がってませんか? それに完全に思考が引張られてしまっているように思えます」 ・・・お、おっしゃるとおりです。 実のところ既に、この思いをいかに200字程度にまとめようか?作品が整う前から、完全に文章の推敲をしてしまってます。でも、何でわかるの・・・? 「思いが強すぎると、そうなるよね。僕もよく陥るよ」 「作品にこめる思いも大事だけど、バランスが大事。偏りすぎるといけない。」 ・・・ガーーン、見え見えですかぁ!? 実は、頭の中では、豊川悦司のキンチョールのCM「そんなこと どうでもいいじゃない」とのたまう 妖しいダンスを踊る女性が腰をくねらせてます。。 「死を直前にして、踊る姫が色っぽく踊るかな・・・? もっと蕭然としてるって解釈も成り立つんじゃない?」 ・・・ですね。完全に頭の中は、ベリーダンス一色です。 千路に乱れる薄ごろも、チラ見えする太もも・・・完全に妄想・暴走してます。 「それに比べて、下の”何”は、いい感じ」 「上の字と下の字書いてるときの本人の腰つきが違ってたもん。”虞”の時は腰がクネクネしてたけど、”何”の時は、しっかり腰が入ってた」 ・・・はい。先ほど指摘を受けて、妄想から一歩進んでます。こっちは。 「作品の背景と、思いも分かりましたし、ストーリーもこじつけられたものではなく、 よく練られているものとよくわかりました。 でも、それをそのままぶつけていいかどうかは別だと思います。 作者の思いは、作品に存分に乗せるのだけれども、ひとたび仕上げてしまえば、手を離れ、 あとは鑑賞する人の解釈しだい。思いを押し付けるのは高慢なことだと思います」 「たとえば、能の面を考えてください。 あの面で、いかに喜怒哀楽、いやそれよりもっと複雑な感情表現ができるのです。」 「ただ、そのためには、半端じゃない技能が必要となります。 当然、我々には頭の中にあるイメージに達するまでの技量はないわけで、 常にそこの乖離の着地点の模索であり、少しでも近づくための日々の精進というわけです」 「そうそう、この虞の字は、艶っぽくという思いが先行しすぎて、表現が”ベタ”になっちゃってる。 能の面の表現とは逆の方向に行ってしまってるね」 最後に先生から。 我々が目指しているのは、単なる書道ではない。単なるアートでもない。 言葉にするのはむずかしいのだが、 アートにありがちな「他人にわからなくてもいい」という創作ではいけない。 文字という先人の知恵の結晶である文字を使って表現するのだから、 先人の数多くの労作から古代文字の息吹を聞き取り、想いを読み取り、字形の姿形を見極め、 しかるのちに芸術家として想化できるある種のイメージが心に見えかくれしたら、 はじめて筆と墨と紙に託して、イメージの確認作業に没入していくのです。 このとき、同時に大事なのは、いつも言うように墨線=自分の線を出すことです。 だから、あまりに形(=造詣・アート)に固執しては、ならないといえるのです。 先生、諸先輩方 ありがとうございました!!!! 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 「亀甲会」主宰 加藤光峰氏とは 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
by micasa2
| 2009-07-18 23:40
| 亀甲会(古代文字)
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